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備忘録の続きを・・・ ちょっと長いので、興味のない方は流して下さい。 『タンゴ・冬の終わりに』 美しく、哀しい舞台だった。 冬の日本海の鈍色の空と海が装置の後ろに広がっている気がした。 俳優を引退した清村盛は生まれ故郷である日本海に面した映画館に戻ってくる。 それについてきた妻・ぎんと誰もいなくなった映画館を守ってきた弟・重夫。妻を姉と呼び、狂気に取り憑かれた盛を守るように静かな生活が続いていた。 しかし、かつての恋人であった女優の水尾が映画館に現れ、更に水尾の夫・連がそれを追ってくる。 水尾の出現によって、それぞれの人物が抱いていた小さな歪みが露呈し、狂気の淵を歩いていた盛は更に深みにはまっていく。 芝居の中で象徴的に描かれる“孔雀”。 盛が子供の頃に理科室から盗んで映画館に隠したものなのだが、盛はこの既にあるはずもない“孔雀”を探し続け、いよいよ見つけ出す。しかしその胸に抱かれているのはだたのボロ布でしかない。 抱きかかえたボロ布を“孔雀”と呼び、誰にも触らせようとしない盛の姿を見た妻・ぎんは盛と歩んでいくことを諦め、その場から去っていく。 対照的に水尾はそれは“孔雀”はない、ただのボロ布だと解らせようと盛に対峙する。 そして、水尾は盛に、盛は連によって最期を迎える。 舞台となったのは60年代後半から70年代前半。 “孔雀”は何だったのか? 失ってしまった夢なのか、信条なのか、政治なのか、観る人によって様々なものに見えるのだろう。 しかし、私には清村盛という人物がぎんと水尾にとっての“孔雀”に見えた。 狂気の世界に入り込み、コントロールの利かなくなった男に女二人は何を求めたのだろう。 全てを受け入れ、寄り添うように側にいたのに、最後には諦め離れていくことを選んだぎん。 若さ故の熱情と愚かさで、自分の力で人を変えることができると信じて疑わない水尾。 結果的に水尾の行動は事態を悪化させ、本人も命を落とすことになるのだが、その姿は潔くも見える。それよりも、最後に残り、その場所で起きた事実と関わった人達すべての悲しみを背負って、ひとり生き続けなければならないぎんの姿が切なかった。 芝居の中で使われた“カノン”と“タンゴ”がいつまでも耳から離れずにいた。 2006.11.4〜29 Bunkamuraシアターコクーン 作 清水邦夫 演出 蜷川幸雄 出演 堤真一 常磐貴子 秋山菜津子 毬谷友子 段田安則 他 |
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